塾長の想い -BLOG-
塾長の想い その129
2024/03/09
【横浜中2自殺】善悪の基準
『世の中の人たちにはいじめと判断されないようなものだと思います。それでも私には辛かった』
と、遺書に書かれていたようです。
いじめというものは、やられる当人以外にとっては、おそらく痛くも痒くもない、むしろ楽しく面白いものだと思います。そして連中はよく言うんだ。「安心してください。いじめじゃないですよ」
善悪の基準について
昔、ネット上で議論をしたことがあります。
私は、善悪というのは、人間とは別の、神様みたいな、お天道さまみたいな、別格があって、それに背いたことをやってしまったときに、お天道さまが、あるいは神様みたいなものが怒るんだと主張していたと思います。
これの反対意見は、
人間関係が、人間同士の話し合いが、共感が、善悪を決めるのだというものでした。
私もその人も、どちらも間違っていない、という意見もありました。でも、現実には、後者のほうが行き渡っているとも。
さて、お天道様でなくて、人間の共感や意見が善悪を決めるのだとしたら、それは大変なことだと私は思います。なぜなら、やられる側を経験した人よりも、やった側を経験した人のほうが圧倒的に多いからです。
昔、大学の寮に住んでいたとき、「こんな曲、嫌いな奴いないよね」と、ともだち同士のコンセンサスのもと、『ホテルカリフォルニア』を大音量で聞いていました。すると、隣の人が、ノックしてきました。(ノックが聞こえるほどの音です)
「ブルーマ落としてくれますか?」
「はああ? ブルーマを落とす??」
「ボリュームを落としてくれますか!」
ああ、そうか、すみません。と、すぐにボリュームを落としました。友達とのコンセンサスなどあてになりませんな。
さて、その大学の寮では結構みんな、自分の部屋に友達を呼んで騒ぐ、みたいなことをやっていました。
Nちゃんという子がいて、その子は人気者で、しょっちゅうその子の部屋で多くの友だちが群れていました。そこに、すこし静かにしてくださいと、よく言いに来る子がいたそうです。Nちゃんは、その子の部屋の前に置いてある靴を、よく荒らしておいたそうです。
この話をすると、大笑いする人がいます。そして、Nちゃんはチャーミングだと言います。それはたぶん、部屋で友だちを呼んで大騒ぎをする人のほうが、静かにして、という人より多いからでしょう。
もうひとつ。
私は子どもの頃、よく友だちのWちゃんたちと、マンション下の広い駐車場で遊んでいました。そこに管理人さんが見回りにきて、「ここでボール遊びをしたらあかん」と言います。Wちゃんは満面の笑顔を浮かべて、「はあい、すみません」とお辞儀をし、管理人さんが背を向けた途端に、舌を出して見せるのです。
こんなWちゃんのことをチャーミングだと言う人がいます。
さて、NちゃんやWちゃんは、どうして多くの人にとってチャーミングなのでしょうか。それは、そういう人のほうが多いからなんです。弱い立場の人をあざ笑い、舌を出し、陰険な遊びに興じ、その後は成功者となるのです。はい、某テレビ局の・・・いや、なんでもありません。
教師なるものは、学校時代が楽しかった人が多くなるわけですから、いじめられた子どもの気持ちなどわかるわけがありません。
なんともやるせない思いでいっぱいですが、せめて善悪が、多数決ではなく、お天道様が見ている、で決まって欲しいものだと思わずにはいられません。
誰かの背に向かって舌を出していたような人間が教師やってるんですから望みは薄いですが。